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ヤクルト村上宗隆「桁違い」の伝説 松坂世代ドラ1大砲とその父が明かす - 西日本新聞

 ヤクルトの村上宗隆内野手(22)が、5年目の今季は「村神様」の異名を取るほど打ちまくっている。本塁打王&MVPに輝いた昨季からさらに進化。本塁打と打点でリーグトップに立つなど令和初の三冠王を視野に入れる。そのルーツを知るのが、中学時代に所属した硬式クラブ「熊本東リトルシニア」監督の吉本幸夫さん(66)と、ソフトバンク2軍打撃コーチの亮さん(42)の親子だ。2人が「ムネ」と呼ぶ「令和の怪童」の原点の地を訪ねた。(西口憲一)

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 左打ちの少年は動画の中でもフルスイングだった。「この頃のムネは、まだコロコロしてかわいかったね」。スマホの画面を見つめる幸夫さんの目が細くなった。撮影日時は2013年7月。村上が中学2年だった13歳の夏だ。熊本東リトルシニアを率いる幸夫さんは「桁違いだった」と群を抜く打球の飛距離を認めながらも、プロ野球の世界で「無敵」となる9年後の姿までは想像できなかったという。

【中学の頃から雰囲気たっぷり!村上宗隆のバッティング動画(吉本幸夫さん提供)】

 熊本県益城町にあるグラウンド。2016年の熊本地震で三塁後方に亀裂が入るなど被災したため、現在は使用していない。長方形の形状は当時のまま。120メートルのレフトに対し、ライトは80~85メートルしかない。村上の打球がネットを越えて民家に飛び込むたびに、村上の父が菓子折りを持って謝りにいっていたそうだ。

 息子の亮さんは村上の19学年上になる。ソフトバンクの球団職員時代、たまにグラウンドに顔を出すと、まだ中学生だった村上が外野のセンター付近にある桜の木を越す打球をかっ飛ばしていた。「あの桜を越すには100メートル、いや110メートルは飛ばさないといけない。ムネは楽勝でしたからね」

 同じ熊本東リトルシニア出身で、自身も“桜越え”の打球を放っていた亮さんにとっても思い出の木だ。強打の評判を聞きつけたダイエー(現ソフトバンク)のスカウトがグラウンドを訪れたことから、プロへの道が開けた。地元の九州学院高に進み、ドラフト1位でダイエーに入団した亮さんは同じ高校に進むことになる後輩に「ムネは将来、きっとドラフト1位の選手になれるぞ。だから、頑張れよ」と伝えた。

 村上は2学年上の兄とともに、熊本県宇城市にある吉本親子の自宅で打撃指導を受けていた。亮さんも弟のようにかわいがった。激励のメッセージを、村上も忘れなかった。「亮さんに『ドラ1』と言われたこと、覚えていますよ」。ドラフト1位でヤクルトに2018年に入団した村上にこう明かされたという。

 セ・リーグ最年少のMVPに輝いた2021年シーズンのオフ。熊本で開かれたパーティーで、亮さんはお祝いのあいさつに立った。壇上でとっさに出た「このたびは大後輩の…」のスピーチに会場は大爆笑に包まれた。スター街道を歩む村上に対し、自身は別の球団でコーチの立場。それでも気にならないはずはない。

 「ムネにとって、同じ九州出身の青木宣親選手の存在も大きいと思います。成人式に出ず、米国自主トレに同行していますからね。覚悟が違いますよ。やらなければいけないことを理解して行動して、そこに青木選手がいた巡り合わせ…。人との縁ですよね」

 プロ5年目の22歳はキング争いを独走中。「年齢的には大卒1年目のルーキーと同じですよね。これから、いったい何本打つんでしょうね」。亮さんがつぶやいた。天賦の才だけで良縁や運は決して巡ってこない。妥協なきバットでアーチを描き続けていく。

 吉本亮(よしもと・りょう)1980年5月8日生まれ。熊本県出身。熊本・九州学院高では3年夏の甲子園で2打席連発を放つなど高校通算66本塁打。プロでも一時代を築いた「松坂世代」の一人で、ドラフト1位で99年にダイエー(現ソフトバンク)入団。2009年からヤクルトでプレーし、11年限りで現役を引退。通算149試合出場で打率2割2分7厘、1本塁打、34打点。12年からソフトバンクのフロント入り、18年から3軍打撃コーチ、22年から2軍打撃コーチ。背番号77。右投げ右打ち。

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